5階に飾られているのは印象派最盛期に描かれた絵の数々。美術の資料集や本で見たことのある絵を実際に目にするのは不思議な感じがします。
この階は作者ごとではなく、部屋(Salle)ごとにまとめました。
オルセー美術館についての総合的なインフォメーション
オルセー美術館0階の紹介
オルセー美術館2階の紹介
Salle 29
『バジールのアトリエ』エドゥアール・マネ(Edouard Manet)
隠されたモチーフが多いマネの絵の中でもこの絵は特に色々なものが隠されています。
何気なく描かれている男性たちですが、向かって左から、ルノワール(またはシスレー)、階段にいるのがゾラ、話している3人がモネ、マネ、バジール、ピアノを弾いているのがメートルだと言われています。
壁に掛かっている絵もマネの絵だけではなくルノワールやモネの絵もあるそうです。
『草上の昼食』エドゥアール・マネ(Edouard Manet)
オルセー美術館0階の紹介でも少し書きましたが、この『草上の昼食』は0階にある『オランピア』と共にスキャンダルを巻き起こしました。
それまで神話や物語に出てくる女の人の裸は描かれていましたが、現実世界の女性の裸を描かれたことはなかったからです。
この絵は見ている人たちに、どうにも不謹慎なことを勝手に想像させてしまうのである。そして絵を見て不謹慎なことを考え巡らせている自分に気づき、そんなことを考えている自分が、周囲に悟られてはいないかと不安になる。そんな自分をごまかすために怒りが出てくる。マネの技である。
『草上の昼食』クロード・モネ(Claude Monet)
モネがマネの上の絵を意識して描いた絵がこちらの『草上の昼食』。当初、マネの絵は『水浴』という題名だったのですが、マネも逆にモネのこの絵を意識して題名を『草上の昼食』と同じ題名に。
『バジールのアトリエ』にもモネが描かれていますし、切磋琢磨しあう仲だったのでしょうか。
『猫と少年』ピエール=オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)
彼の描く柔らかく明るい雰囲気の少女の絵とは全く違う雰囲気です。そして猫の肉球がかわいい……。
『バティニョールのアトリエ』アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour)
ラトゥールによる集団肖像画。
前で絵筆を持っているのがマネ、モデルになっているのがザカリー・アストリュク。アストリュクの後ろに立っているのがバジール。後列左からオットー・ショルデラー、ルノワール、ゾラ、エドモン・メートル、バジールの影にいるのがモネ。
『バジールのアトリエ』に描かれていた人が多いですね。
当時の文化人の交友関係がうかがい知れる、興味深い一枚です。
Salle 30
上がラトゥール、下がモネ。
日常のどこかを切り取ったような静物画ってなんだか好きです。
『ライラックのもとでの休息』
『ひなげし』
どちらもクロード・モネ(Claude Monet)の作品です。 ここに描かれている女性も奥さんのカミーユで、『ひなげし』には息子も描かれています。
Salle 31
『昼食』クロード・モネ(Claude Monet)
あれ、左に座っている男の子の被っている帽子と枝に掛けてある帽子……見覚えが?
そう、上の『ひなげし』に描かれている二人の帽子と同じものなんです!同時期に描かれた絵のよう。
『七面鳥』クロード・モネ(Claude Monet)
彼のパトロンであったエルネスト・オシュデ氏の注文によって描かれた絵。オシュデ氏の所有するロッタンブール城が七面鳥の群れの後ろに見えます。
しかしオシュデ氏はこの絵が描かれた翌年の1878年に破産してしまい、この絵も手放すことになってしまいます。
ドガの絵も展示されていました。
『Danseuses montant un escalier』
『ダンス教室』
Salle 32
『床削りの人々』ギュスターヴ・カイユボット(Gustave Caillebotte)
彼は写真の影響を受けたと言われていますが、そう言われると確かにそんな気がします。
そして置かれているワインボトルから、今も昔も変わらず昼間からワインをたしなむフランス人の生活が垣間見えますね。
どの美術館でもなんとなく「推されてる作品」があるような気がするのですが(パンフレットに載っていたりとか、大きなパネルになっていたりとか)、この『床削りの人々』もモネの『ひなげし』などと並んでオルセー美術館においてそういう立ち位置のように思えます。
どうしてだろう?とずっと気になっていたのですが、カイユボットは自身が印象派の絵をコレクションしたり、集めた絵を寄贈したりして印象派の今の評価に大きく貢献した人のようです。
そういう経緯もあって推されてるのかな?と思ったりしました。もちろんこれは私の個人的見解ですし、絵自体が評価されている上でのことでしょうけれど。
下のルノアールの作品二点は彼と親しかったカイユボットが所蔵していたものです。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場(Bal du moulin de la Galette)』
ムーラン・ド・ラ・ギャレットに集う人々。退廃的でメランコリックであった当時のカフェ本来の姿とは異なる陽気な本作の雰囲気に、幸福な社会や治世を望んだルノワールの世界観や趣向なども示されているとの解釈もされている。salvastyle.comより引用
『ぶらんこ(La balançoire)』
本作は当時、労働者階級にあった人々を描いた作品ではあるが、そこにあったであろう重々しく疲弊的な雰囲気は感じられず、明るく愉快に過ごす人々の生や喜びを強く意識し描いたことは、ルノワールの絵画における信念や思想の表れでもあるsalvastyle.comより引用
『団扇と婦人』エドゥアール・マネ(Édouard Manet)
『オランピア』と似たものを感じる構図。こんな頃に日本の芸術がはるばるフランスまで運ばれて、印象派の画家に影響を与えていたってなんだかすごいことだな、と思います。飛行機なんてない時代ですし。
『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』エドゥアール・マネ(Édouard Manet)
後にマネの弟と結婚することになる女性で、彼女自身も画家でした。
『Jeune femme en toilette de bal』ベルト・モリゾ(Berthe Morisot)
これがベルト・モリゾの作品。女性らしい柔らかい雰囲気の絵ですね。
Salle 34
この部屋に入ってまず目に飛び込んでくるのはルノワールの大きな二枚の絵。
『都会のダンス』、そして下が『田舎のダンス』。
ダンスシーンが好きだったルノワールが描いたこの二枚の絵は対になっています。クールな雰囲気の『都会のダンス』と素朴な雰囲気の『田舎のダンス』の2枚の絵の中には様々なコントラストを見つけることができます。
上の『七面鳥』のところで名前が出てきた、モネのパトロンだったオシュデ氏。オシュデ氏の妻であるアリスとモネはカミーユが若くで亡くなる前から恋愛関係にあったと言われています。
そしてカミーユの看病をアリスがしていたらしい……となんだか複雑な関係。後にモネとアリスは結婚するのですが、モネはアリスの絵を描くことはありませんでした。
この二枚の作品『戸外の人物習作』は、妻カミーユが1879年に亡くなった7年後に描かれた作品で、実際のモデルはアリスの三女シュザンヌだったと言われています。
しかし、カミーユと息子ジャンがモデルになった『散歩、日傘を差す女』(↓ワシントンナショナルギャラリー所蔵)とよく似ています。
やはりカミーユを意識して描いた絵のようです。
この二枚の絵は「人物画を風景画のように描く」というモネの試みだったようですが、この絵以降モネは人物画を描くことはありませんでした。
ちなみにこの部屋にはカミーユの遺体の絵まであります……。
カミーユが亡くなった翌年に描かれた絵、『Les glaçons』。
すごく静かな絵。
Salle 35
『Nature morte à la bouilloire』ポール・セザンヌ(Paul Cézanne)
テーブルの上の物が描いてあるだけなのにこの存在感……。画家のポール・セリュジエはセザンヌの静物画について、「見る者に皮をむいて食べたいと思わせるのではなく、ただ見るだけで美しく模写したい気持ちにさせる。」と述べたそうですが、本当にその言葉の通りだと思います。
『マンシーの橋(Pont de Maincy)』
十代前半のころからエミール・ゾラと交友があったセザンヌ。
大学で法律の勉強をしていた頃に絵の道に進もうか迷っていたセザンヌにゾラは「弁護士になってもいいし、絵描きになってもいいが、絵具で汚れた法服を着た、骨無し人間にだけはなるな。」とアドバイスしたそうです。
『カード遊びをする人々』
セザンヌはそれぞれ構図やサイズが違う『カード遊びをする人々』を5枚描いていて、オルセー美術館に収蔵されているのはそのうちの一枚です。
『カード遊びをする人々』の他の絵のうちの一枚は2011年にカタールが2億5000万ドル超で購入したと言われており、美術取引史上最高値とされているそうです……!
カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)の作品二つ。
色が踊っているようで、光がすごくきれい。絵が描かれたときの温度が伝わってきます。
『睡蓮の池・緑のハーモニー』
「日本の橋」と名付けられた橋が描かれています。モネは彼の浮世絵コレクションのなかの1つにインスピレーションを得てこの橋を庭に作ったと言われています。
『ジヴェルニー近郊のセーヌ川の朝』
朝、とはいえかなり早朝のように見えます。まだ薄暗くて静かで、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてくるような絵。モネの探求した光と色彩の移ろいが表現されています。
モネの絵が並べられてる向かいの壁にルノワールの絵が並べられています。
Salle 35に飾られているルノワールの絵のうち何枚かを年代順に並べてみます。
1892年『ピアノに寄る少女たち』(Jeunes filles au piano)
1907年 『Grand nu』
1910年 『Madame Josse Bernheim-Jeune et son fils Henry』
1918-1919年 『 浴女たち(Les baigneuses)』
ルノワールが78歳で亡くなるのが1919年のこと。
天才画家でもおじいさんになったら絵もおじいさんの絵になるのでしょうか。(失礼)
絵に画家の人生が詰まっている気がしました。
私は特にモネの絵の大きさに驚きました。実際に見るのとインターネットや本で見るのとでは色合いが違います。日本で展覧会がある場合やパリに行かれる際はぜひ本物を見てみてください。
続き→「オルセー美術館の3階、後期印象主義」
参照:
テレビ東京 2017年7月1日放送 美の巨人たち
オルセー美術館公式サイト