『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』は自分が音痴だと認識できていない音痴なマダムと、彼女を支える夫の話――
小学生だったころ学校で教わった歌を家で歌っていたら、まだ小学生になっていなかった妹がそれを真似して歌い、それを聞いた母が
「習ってない妹ちゃんの方がなぜか正しいメロディーで歌ってる」
と爆笑したことがあります。
わたしは自分が音痴だとは思っていないし、母親と妹の音楽性が同じ方向にずれていただけだと思っているのですが、本当に音痴な人はしばしば自分が音痴だと分からないよう……。
『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』のあらすじ
マダム・フローレンス(メリル・ストリープ)と夫のシンクレアは音楽クラブでショーをして楽しむ金持ち仲良し夫婦なのですが……
夫人は病気に侵されていて、
さらに夫は妻を献身的に支えているものの夜は愛人の待つ別宅へ帰るのでした。(だからヒュー・グラントなのだろうか)
マダムはある日とある歌手のコンサートに感動して、自分もコンサートを開きたいと言い始めます。
さっそく歌の先生とピアニストを手配するシンクレア。
ピアニストのオーディションにやってきたコズメ・マクムーンをマダムはすぐに気に入り、彼に身の上話を始めます。
「音楽の道に進みたかったけれど、親には勘当すると言われて……それでも諦めなかったから、勘当されたけれど最後には親も許してくれたのよ」
そしてコズメは最初のレッスンでなぜマダムの親が音楽活動を許さなかったのか知ることになります。
そう……音痴としか言いようのない音痴だったのです。そりゃ親も反対するよ……。
この表情
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しかしマダムの音痴っぷりを指摘しない夫シンクレアとべた褒めする歌の先生。戸惑うコズモ。
その後マダムは小規模のコンサートを成功させるのですが、ある日何を思ったのか突然カーネギーホールでコンサートをすると決め、あろうことか兵士たちにチケットを1000枚プレゼント。
今までマダムに好意的な人と買収に成功した新聞記者だけを集めていたからなんとかなっていたコンサートですが、カーネギーホールでのコンサートは上手く行くのでしょうか……!?
『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』の感想
さすがヒュー・グラント。やっぱり愛人がいるのね……
小学生のころからずっと好きです。(突然の告白)
「こんなにしわがあったっけ!?」と少し驚いたけれど、最後に彼を観たのが2009年公開の『噂のモーガン夫妻』だったので、それも仕方のないことですね。
マダムのお金で借りているお屋敷に愛人と住んでいたりはしますが、
マダムを見つめるこの顔、この表情……
後、シンクレアはマダムのお歌に文句一つ言わないのに、マダムはシンクレアの朗読劇がイマイチだと思っていることをほとんど隠さないのが笑えます。
時代背景と日本
後、会話や劇中でそれとなく第二次世界大戦中だということが示唆されるのですが、日本が国民総動員で食べるものも食べず竹やりを振り回していたのに、アメリカってこんなにヨユーがあったの!?と複雑な気持ちになりました。
勝ち目ない。
劇中に出てくる新聞の一面にも「日本の海軍が破られる」みたいな見出しが大きく載っています。
メリル・ストリープだからなのか
客観的に見ると、マダムはお金があるだけのおバカです。まさに裸の王様。
自分の声を録音したレコードを聞いたらさすがに自分が音痴だと分かると思うのですが、音痴に気付くどころかレコードをラジオ局に送り付けたり……!
東奔西走させられる夫が可哀想になります。(まあ、愛人囲ってるしどうでもいいけど)
それでもなぜか段々マダム・フローレンスのリサイタルが上手く行くよう応援したい気持ちになるのでした。
彼女の純粋さがスクリーン越しに伝わるからでしょうか。
しかしマダムの持つ愛嬌や魅力ってメリル・ストリープが演じていたからこそなのでは、と思ったりもします。
プラダを着た悪魔の編集長と同一人物…!?
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実在したマダム!フローレンス・フォスター・ジェンキンス
最後のエンドロールでマダムが実在した人だと知って、心底驚きました。
思わず検索したほどです。
音痴であろうとどれだけ批判されようと、最後まで自分の意思を貫いた彼女は「シンガー」として彼女の名前を歴史に残していました。
わたしも今から頑張ろうか……などと一瞬思いましたが、わたしはそもそも「No music, no life」派とは相容れない音楽に無縁の人間だったことを思い出しました。
彼女のような財力も度胸もありませんしね……😉
それでもマダムのマインド
”皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ”
に感化され、自分の好きなことは諦めたくないなとマダムに勇気をもらった映画でした。
全体的に笑えるのでのんびり観るのにおススメの映画です。
話の結末と感想*ネタバレあり
カーネギーホールとその後
兵士を1000人も招待したので当然ですが、最初はヤジが飛んだカーネギーホールでのリサイタル。
しかし結局みんなで彼女を応援するムードに。
一時はどうなるかと思われたリサイタルでしたが無事に拍手喝采の中終わったのでした。
私はてっきりこのまま終わると思っていたので、結末にちょっぴり驚いたのですが――
翌朝、批評が載っている新聞はすぐに買い占めてゴミ箱に捨てるシンクレア。
ピアニスト、コズモも協力します。
絶賛が載せられている新聞だけを読んで嬉しそうなマダム・フローレンス。
しかしなんとレストランで昼食を他の人々と食べているとき、お手洗いへと席を立ったマダム・フローレンスは昨日のコンサートに居合わせた兵士と出くわし
「腹がよじれた」「批評を気にしちゃダメだよ」
などと言われ、そしてとうとうNYポストの批評を目にしてしまいます!!
ショックのあまり気を失ってしまうマダム。
マダムが目を覚ますと自室のベッドでそばには心配そうなシンクレアがいました。
シンクレアの心配をよそに、マダムは自分がカーネギーホールに美声を響かせているところを妄想しながら満足気に微笑みます。
(このシーンのマダムの歌は本当に美しかったので回想ではなく妄想だと思ったけれど、マダム自身には自分の声がこう聴こえているのかもとも思った)
そして
「人々がわたしが歌えないと言っても、わたしが歌わなかったとは言えないわ」
と言い、夫に見守られながら息を引き取ったのでした……。
”ブラボー、ブラボー……”
シンクレアの愛人のその後
愛人はあそこでシンクレアの元を去らなければ、マダムの亡くなった後シンクレアと結婚してマダムの遺したお金で好き放題できたのでは、などとつい考えましたが
去り際の振り返りもしない容赦のなさを見ても、そういう問題ではないのかもしれません。
ただ、彼女のその後が描かれていないし、とりあえずはシンクレアと住んでいたお屋敷に戻るしかないのだから、結局シンクレアにほだされて元鞘に……?などと画面外のことを考えてしまいました。
ピアニストのコズモ
最後の最後、リサイタルの前にマダムが遺言書に名前を書き加えたコズモ。
マダムに家に押しかけてこられたり、シンクレアに付き合わされて新聞を買い占めたりと色々貢献していたので、良かったです。
登場人物で唯一まともな人物なので、感情移入しながら観られました。
面白かったです。
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